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サッカーの正義と悪はどこにあるのか

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 先日の磐田戦やこのあいだの京都戦で、危険なプレーやルール違反をした甲府の選手がいた。

 Twitterでそのようなプレーをまとめた動画ツイートが制作され、拡散されている。

 私はその選手を応援しているからこそ、その選手に向けてあえて言いたい。

 

 何やってんの!!!

 

 もうこれはどう頑張ったって擁護できない。

 甲府の選手はみんな好きだけど、その選手のそういうプレーは好きになれない。

 

 ただしその選手を叩くツイートの中には、度が過ぎるものもあってちょっと困惑した。

 逆に私に対し「誹謗中傷」と言って、当該選手を過剰に擁護するエアリプもあって何だかなー。

 好きなクラブの選手だから、どんな危険なプレーをしても擁護して良いのか。相手クラブの選手だから、完膚なきまでに叩きまくって良いのか。

 サッカーの試合において正義と悪はどこにあるのか、考えてみることにした。

 

私のスタンス

 最初に、危険なプレーに対する私のスタンスを明確にしておく。

 私はどんなに大好きな推し選手であろうと、危険なプレーやルール違反は嫌いだし、絶対に擁護したくない。

 「私の推しが危険なプレーをしたけど、そんな時もあるよね!私はいつだって推しの味方!悪いのは相手選手で、推しは正義!」みたいな乙女チックな考えは持ち合わせていない。

 一昨年、私の推し選手が危険すぎるプレーをして相手サポからかなり叩かれたけど、それはある程度当然のことだと受け入れていた。

 

 ただし嫌いなのはそのプレー単体であって、選手個人の人格や尊厳までけなすことはしたくない。

 それは他クラブの選手に対しても同様。

 まあ若干印象は悪くなるけど、いつまでもネチネチ引きずりたくはない。

 

 悪いプレーは悪い。

 「勢い余って」とか「ついカッとなって」なんて言い訳でしかない。

 それが相手選手だろうと推し選手だろうと、私の見方は変わらない。

 

応援しているクラブは正義で、対戦相手は悪なのか

 これ、ずっと疑問に思っていた。

 相手クラブだからといって、その選手の人格まで完膚なきまでに叩く人がいる。

 でもそのプレーをしたのが自分のクラブの選手だったら、同じくらい叩くのだろうか?

 

 逆もしかり。

 擁護している選手が、もし相手クラブに在籍する選手だったとしたら「〇〇選手は悪くない!」と声高に言えるのだろうか?

 

 サポーターはどこかしらで色眼鏡をかけているものだと思う。

 自分のクラブの選手はカッコ良く、優れて見える。

 審判に対しても同じで、相手寄りの審判は「クソ審判」になるし、こちら寄りの審判には「ナイスジャッジ!」となりがちだ(本来それは駄目なことで、普段から審判をリスペクトしていたい)。

 

 ただそのバイアスも度が過ぎると、自分のクラブが正義だと思い込み、対戦相手が悪に思えてしまう。

 その結果、過剰な誹謗中傷や擁護が生まれる。

 

 サッカーの試合自体に正義も悪もない。

 もしあるとすれば、危険なプレーやルール違反という「行為」が悪というだけだ。あとは選手への誹謗中傷も悪だ。

 もちろんサポーターをやっていれば、個人的に嫌いな選手の一人や二人は出てくるだろうけど、だからといって誹謗中傷するのはどうかと思う。

 その言葉の刃、自分のクラブの選手にも向けられますか?

 

「推しは正義」の概念を捨てるためにやるべきこと

 応援している選手を過剰に擁護する「推しは正義」の概念は、争いごとの火種にしかならない。

 盲信的になって相手を否定することにも繋がってしまうため、その概念は捨てた方が良い。

 

 考えてみよう。

 もし自分のクラブの選手がやってしまった危険なプレーを、対戦相手がやってきたら。

 もし対戦相手の危険なプレーを、自分のクラブの選手がやってしまったら。

 それを想像するだけで良い。一気に冷静になれるから。

 「うちの選手達は危険なプレーなんて絶対しない!」と思っている人は、まだ色眼鏡をかけている状態。どのクラブだってどこかしらでやっています。

 

まとめ

 ネットの誹謗中傷が問題になっている今も、選手達への罵詈雑言は収まる気配がない。

 何が正義で何が悪かなんて、色眼鏡をかけている状態ではわからないのだ。

 私含め、もう一度冷静になって考えていきたい。

 

  

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